2014年、明けましておめでとうございます!girls Artalkの新井まるです。
今年もgirlsArtalkをよろしくお願いします♡
さてさて、新年早々質問です!
みなさん「下村観山」をご存知ですか?
下村観山は、紀州徳川家に代々仕える能楽師の家に生まれた日本画家。幼い頃から狩野派の描法を身につけ、明治22年に東京美術学校に第一期生として入学し、横山大観や菱田春草らとともに、校長の岡倉天心の薫陶を受けました。
実は今年は、下村観山生誕140年、岡倉天心生誕150年、没後100年という記念すべき年なのです!!
そこで注目したいのが、横浜美術館で開催中の下村観山の大回顧展「下村観山展」!
この展示は4つのセクションから成っており、下村観山の幼少期からその一生を時系列で追っていけるので、作風の変化などにも気がつける、見応えのある内容。
しかも、前期、後期で展示替えがあるので、2度美味しい!何度も足を運んでほしい展示なんです。
第一章
少年時代修行期で、狩野派の伝統的な手法を学んだ時期。
この時期の画稿類は、なんと初公開!下村観山のお家の方が保管していた200数十点もの資料が横浜美術館に一括寄贈されたそうで、その貴重な作品を見ることができます。
第二章
今の東京芸術大学美術部の前身である、東京美術学校一期生として入学後の課題作品などから、岡倉天心が美術学校を追われ、日本美術院を創造した時期くらいまでの作品がみられます。
物議を醸し出した、「朦朧体(もうろうたい)」といわれた実験的な作品もこの章にあります。
朦朧体という言葉が批評に初めて出た、作品。
朦朧体とは、輪郭と縁取らずに、直接モチーフを色や墨で描いた、日本画の新しい手法です。
中国神仙思想に基づく霊山「蓬莱山」を主題とし、観山と大観が「日の出」と「月の出」を対で描きました。
伝統的な画題に新意を盛り込むことが意図されており、伝統上の霊山を、実在感をもって表現することに主眼が置かれているそうです。
第三章
下村観山がイギリス留学をしてた時代、色々な美術館へ赴き、作成した模写や、それらの影響を受けた作品などが展示されています。
西洋絵画に影響を受けた装飾的な画法も作中にみられます。
第四章
この時期には、推しも押されぬ人気画家となっていた観山。多くの人から色々な依頼があって沢山の作品を描いています。
また、師である岡倉天心が亡くなったことをきっかけに、下村観山と横山大観は、有名無実化していた日本美術院の再興をはかりました。
「弱法師」
この章で印象的だった大きな金屏風の作品の中に、謡曲「弱法師」を主題にした作品があります。弱法師とは、偽りの告げ口から父にすてらて、盲目となって諸国を彷徨う俊徳丸のあだ名です。その俊徳丸が父と再会するシーンが、沈む太陽を拝む姿で描かれています。
人物がないと、沈む太陽と桜の木が描かれた、本当にきれいな風景画のようですが、端に描かれた俊徳丸の顔がやけにリアルで少しギョッとしてしまいました。でも、弱法師のそんなエピソードがあったのかと思って見ると悲しくなりました。
「白狐」
岡倉天心が亡くなった悲しみを、向かって左の空白に表現したと言われている作品。
観山が得意とする糸杉などの細部まですごく丁寧に描かれています。
「老松白藤図」
観山が持てる技術のすべてを大画面に集結した作品。藤の花の細部まですーーーっごくキレイ!
思わず見とれてしまいます。
「竹の子」
観山の晩年、最後の作品は竹の子の絵。病気で療養中の観山が京都の友人から贈られた竹の子を、一週間かけて描いたそうです。この翌日から病気が悪化し、再び筆を持つことはなく、これが絶筆となりました。
昭和5年、観山はわずか56歳の若さで亡くなりました。
見事な屏風などはどことなくめでたい!お正月〜を連想させるような気がしたので、
ちょうど今の時期に観に行くと晴れやかな気分になれていいかも♡
ぜひ、前期後期どちらも堪能してみてください。
「下村観山展」
前期:12月7日(土曜)~2014年1月8日(水曜)
後期:2014年1月10日(金曜)~2月11日(火曜・祝日)
※会期中、前後期の展示替えのほか、展示期間限定の作品がございます。
詳しくはお問合せください。
横浜美術館
〒220-0012 横浜市西区みなとみらい3-4-1
TEL: 045-221-0300
URL: http://www.yaf.or.jp/yma/